日本IBMのイベント
日本IBMが「Think Japan」というイベントを、6月11日から12日にかけて東京都内で実施中です。その基調講演の記事がZDNet Japanに掲載されています。
基調講演内で、ソラコム社長の玉川憲氏などによるパネルと、 ピクシーダストテクノロジーズ社長の落合陽一氏やタレント・プログラマーの池澤あやか氏が出演するパネルの2つを開催した。
一番気になったのはこの写真
記事を読んでいて、一番気になったのは下記のプレゼンの一枚です。
あの鬼才と言われているピクシーダストテクノロジーズ社長の落合陽一氏の頭の中がいらすと屋でイメージされている・・・というのは冗談ですが、それにしてもこのプレゼンは強烈なものがあります。
普段の生活にどんどんいらすとやが侵食している
特にいらすとやの何かに批判したいわけではありません。
ただ、薬局のPOP、ブログの扉絵、学生のレポート、はたまた今回のようなプレゼンのイメージなど・・。何かにつけていらすとやの差し込み絵が目に付くようになってきました。
そろそろこの、現実世界におけるいらすとやの氾濫に対して、名前を付けなければいけないのではないか。またその影響を測らなければいけないのではないかと思い始めてきました。もう少し、実例を見てみましょうか。
はい。こんな具合です。最近はテレビ番組のパネルでも使われていたのを見たのを思い出しました。
そして、ついに私の仕事の周り(落合陽一氏のプレゼン)にも、いらすとやがついに現れたか!といったところが現在地点です。
影響を考える
落合氏の発言は記事内でこう表現されていました。
落合陽一氏を招いたパネルは、「エンジニアが自由な発想によって社会問題を解決し、世の中を変えられる面白い時代が来ている」ことを強調するものとなった。
「世界の人口が増え続けているのに対し、日本は急速に減少していくという珍しい国」と切り出した落合氏。人口減少後の世の中で、成人1人が数人分を支えなくてはいけないという2000年代によくあった議論から、2010年代になり人工知能(AI)による労働の代替が模索され始め、今後はAIやIoTと人間が混じり合う多様化した技術(Diversified Technology)により、問題が解決していくとの持論を展開した。
このビジョンは未来の最先端を表すもので素晴らしいと思うのですが、このビジョンを一般人に説明するときに、いらすとやが使われたことは多少の意味を持ってくると思います。つまり、最先端のイメージを見える化するときに、これをいらすとやが置き換えうるということです。いらすとやの素材を組み合わせれば最先端のイメージになるということです。これって意外と重要な事実だと思うのです。
未来というのは、「今はない」ということです。今はないのにいらすとやで表現できるということは、いらすとやのパーツに未来が詰まっているということを指し示します。
逆のことを言います。今後いらすとやのパーツを使って未来のビジョンを語ることがフォーマット化した場合、いらすとやのパーツが無ければビジョンが語れないということになります。これは問題です。いらすとやのパーツにないビジョンが語りにくくなるということになります。
上記の論は多少のばかばかしさをはらんでいると思います。大げさだとお思いかもしれません。しかし、私のイメージだと、日本人は日本語の枠で考えるために制約を受けていると思います。もちろん英語圏の人は英語に。もちろん英語も日本語も使える人はいるのですが、思考するときの言葉は一つだと思います。ツールによって制約を受けるのは当然だと思います。
一流の学者までいらすとやを表現に使い始めたということは、何かいらすとやが抽象表現を見える化する際には重要なツールに既になっていて、毒にも薬にもなるという気がしています。いわゆるツールの制約が毒、わかりやすさが薬です。
もちろん、いらすとやがイラストレーターの仕事を奪っている論争の件も知っています。
この件は本記事では触れません。これが主旨なのではなく、思考のツールとしていらすとやが日本人にとって欠かせないものとなったとき、どういう制約が起きるのかを考える必要があるということが主旨です。
本当の問題はいらすとやが続けられなくなったときかもしれない
いろいろ熟考していくとこの問題の大きなポイントは、いらすとやは未来永劫続くものではないというところに行きつくと思います。
いらすとや自身は、イラストレーターのみふねたかしさんによって運営されています。
みふね氏がタイムリーに絵を作ってくれているから、未来の思考においてその絵が存在しています。例えば、VRや、AIや、IoTまで取り揃えています。
だからツールとして利用できますが、みふね氏がいつまでも活動し続けてくれるわけではありません。
運用としては属人的であり、事業でもないので、本当の問題はいらすとやの運営が止まったときに発生すると思っています。
これはオープンソースの成果物では実際に発生していることですが、運営がいなくなって更新が止まってしまって、それを活用していた人が困ってしまう懸念があります。
いらすとやが日本人の思考のツールとしてここまで成長してしまったことを考えると、みふね氏へ何らかの形で人的支援するか、同じ機能を持った別の素材を何らかの公的なファンドで立ち上げるかしないと、思った以上に「いらすとやロス」の影響が高まってしまうのでは、と危惧しています。
杞憂と言われればそれまでですが・・・。個人的には衝撃を受けた一件ですので記事としてみました。
認知と言語: 日本語の世界・英語の世界 (開拓社言語・文化選書) 単行本 – 2016/10/25