orangeitems’s diary

クラウドではたらくエンジニアの日々の感想です。

学歴フィルターという現象を現実社会から考える

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かれこれ現実社会には20年いるので学歴が個人に与える影響については理解している。いろんな立場の人がいるためいろいろな意見が生まれて当然だとは思うがある程度のロジックの上で現実社会が運営されている。私はIT業界にいるので他では違うかもしれないが似たようなものではないかと推察する。というのもIT業界は他の業界にサービスをすることで成り立っているので最も現実社会を俯瞰できると思っている。製造業、流通業、教育関連、ライセンスビジネスと、飲食業等々、思い返しただけでも私個人でもいろいろな方とお会いしている。自身も踏まえて学歴が個人に与える影響を論じたい。

学歴とは、新卒採用あるいは中途採用において、過大評価されるか過小評価されるかという係数である。本当にそれしかない。

新卒においてはもともと社会人としての実力はゼロに等しい。ゼロというと、いや、学生の時に学んだ沢山のことはなんだったんだという意見があろうと思う。しかし、私からすると何の役にも立たない、会社に入ってから覚えるたくさんのことと比べると、まさに何もないに等しい。IT業界であれば情報系の学校を卒業していればさすがに役に立つと思うだろう。いや、それは学校で勉強するべきこと、ではなくIT業界で働くならば学校だろうが家だろうが方法を問わず勉強しておくべきことだ。学校じゃないと学べないことなどもはや何一つない。Googleを検索することで大量に情報がほぼコストなく得られる状況の中、学歴とその学ぶべき情報技術の間に相関関係が全くなくなっている。もっと言えば、4年間大学でちゃらちゃらしているのなら4年間インターネットをずっと開いて、プログラミングをしたり仮想化環境を構築してインフラを学んだりしたほうがよっぽど身につくと思う。学校で学ぶべきことは実はそこにはない。ある程度受験という仕分け制度を経て、ブランドが付けられた同世代を集合させ、その中で将来のビジョンを語り合ったり恋愛をしたり遊びをしたりして、人格を高めることにある。少なくとも日本という国はそうだ。もし就職活動というプロセスで学校に意味付けするとしたら、何を学んだかの「何」というのは、研究内容や学習内容ではない。人格を優れたものにする上でどんな体験をしたかに他ならない。サークル活動やゼミの活動など、何で面接でこんなことを聞くんだろうという理由はそこにある。企業は何にも学校に技術を求めておらず、優れた人格を期待しているのだ。そして、学歴というブランドは、その人格を最大化することについて企業は係数として考えている。優れた人たちに囲まれることによって、人格は優れていくという思想なのだ。企業はその器に、企業がビジネスを行う上で必要なプロセスという液体を注ぎ込むことによって、将来その企業を背負っていってくれるというシナリオを期待しているのである。

ただし、これはあくまでも原則論であり、学歴がなくともコネがあったり、学歴を凌駕するほどの何らかのブランド、例えばすでに業界で有名な実績を残したり、とある世界ではインフルエンサーであったりなど、例外は存在する。ただ理由のない事象はない。この辺りのことをシステム化すると学歴フィルターが生まれるのだ。人事が当たり前のように行う選抜システムを機械にやらせているため、今回のような応募者に見透かされるような状況になるのだが、本来は企業側が暗黙の了解となっていることであり全くもって新しい話ではない。

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中途採用の話もしよう。企業規模によっても違うと思うが、多数の企業でまず人手が欲しい現場にて書類選考をする。もちろん人事にてどうみても戦力にならないと判断する書類はそこで捨てるのだが、あらあらのフィルターを通した後は現場に相談する。そこでまず見る場所は、学歴である。職歴ではないかという声もあるかもしれない。いや、くどいが学歴だ。次に年齢と性別だ。そこを見た後に、職歴を見る。正直、学歴がいい場合は採用をする目線で次を見る。学歴が悪い場合は、採用しない目線で次を見る。つまり。人格を学歴で判断し、スキルを職歴で判断する。そして、再度、職歴で人格を判断する。何を言っているかというと、転職回数が多すぎると警戒する。採用してもすぐやめるのではないか。また、離職している期間が長いと、病気でもしているんではないかなど、いろいろ疑心暗鬼になって考える。このロジックをシステム化するととんでもないと思うが、AI化すると論じたようなフローが走り出すと思う。正直性格が悪いとやってられないと思うのだが、機械に任せたいというのはこのプロセスがかもしだすストレスにあると思う。しかも書類でそこまで考えた上で、実際に面接して再度人格やスキルを捉えなおすのである。この中で、学歴とはどう捉えても「係数」になる。学歴なんて仕事に関係ないと思うのであれば、これを覆す実績という係数を身につけるしかない。学歴もない職歴もないでは、何もアドバンテージを得られない。

さて、では実際仕事する場で学歴はどのように扱われるか。実際のところ自分が管理職であれば自分の部下ぐらいの学歴は知っているが、そのほかは全くわからない。取引先もわからない。あれだけ学歴学歴行ったのは何だったんだというぐらい、実際の仕事では学歴は関係ない。もともと個人情報保護の流れで、学歴を聞いたり言ったりすることははばかられる雰囲気にある。例えば自分が東大卒でも自分が東大卒だということを誰かにいう場面など皆無である。ということで、仕事をする上では、かなり実力主義的な面がある。学歴がいくら良くたって組織の中で重要な仕事をなさなければ、全く評価されない。ここだけ切り取ると、学歴は実際に就職してからは職場の中では何の係数にもなりはしない。

ところが、1つだけ学歴がまだ影響を与える部分がある。社長あるいはその近くの役員が社員の昇進を決める際のバイアスとなる点だ。昇進させるということは権限を与えるということに他ならない。権限には責任もセットで付く。ちゃんと遂行できるかどうかはやってみないとわからないが、学歴によって想像する結果をブーストすることがある。A君は早稲田卒だしやらせてみたらどうか、という具合だ。もちろん実績主義を標榜するような企業だとこういう思考はできるだけしないようにしていると思うが、何しろ人間のやることなのでノイズが入りやすい。残念ながらどこまで行っても主導権が他人にある限り学歴が付いて回る。

この状況のもとで、小学生・中学生・高校生に言えることとしては、学歴はいい方がいいとうことだ。まるで日本の教育は、横並びで平等で、全ての人に機会が与えられるような妄言を言うことがあるが、ちっともちっともそんなことはない。現実社会はかなりドライでしかも運も必要となるハードモードのゲームだ。学歴はチートなのだ。学歴があることで係数が得られる。係数がわからない人はまずい。Y=aX+bという一次関数のaの部分だ。aは大きければ大きいほどいい。bは切片と呼ばれるが、これが環境であったりコネであったりと言った部分だ。そう。bがチートしている人もいる。親が芸能人、企業役員の子供、お金持ち、いろいろがある。Yという評価。Xというあなたの実力、これをaとbが振り回すのだ。現実社会にいる限り。

もちろん、この不条理な現実社会をひっくり返すべく、自らが会社を立ち上げたり、フリーランスとして活動することもできるだろう。この場合法人という架空の人間を作成しこの実績が全てとなることができる。そうすると社歴であったり職歴が全てとなり、学歴を前に出す必要がなくなる。これで銀行やファンドを呼び込み、社会と対峙していくことで学歴という係数を最小化することができる。そのうえで大成功してみてほしい。次に仲間を得る際に自分がどうするか。人事のスペシャリストを仮に仲間にできた時に彼がどうするか。Y=aX+bで会社を広げていくのではないか。自分がいくら学歴を無力化したところで、自分が他人を見る際には、絶対に学歴から入るのではないかという問題提起をしておく。このあたりが、世の中が不条理である所以であろうと私は思っている。

以上が、私の身の回りで起きている、学歴の位置とその効果だ。普通に仕事をしていれば他人や自分の学歴など全く気にしないし、もはや自分が学生だった時のことの記憶は薄れている。でもどこかで自分が学歴という係数で掛算されているとすると、背筋が寒くなる。私と同世代の子を持つ親たちは、子供の学歴を上げようと必死だ。みんななぜかは語らない。人の子供の学校のことを詮索するのはデリカシー違反だ。みんな分かっている。これは戦いなのだと。戦いに勝ったもの、敗れたもの、それを踏まえて現実社会に突入していかなければいけない。できるだけ言語化してはいけない、なければいいが必要となるもの、それが学歴フィルターなのだと思う。

 

さて、ここまで書いて、じゃあ学歴戦争に負けた人はどうするのかと思ったが、リカレント教育を思い出す。世の中、もう少し柔軟であってもいいと思う。人生は長い。リトライする機会を与えるプロセスをどこかに設けたほうがこの社会はもっとよくなると思う。

働き方改革により生涯学習がリカレント教育と名前を変えて登場した背景 - orangeitems’s diary

むしろ、ロンドンブーツの田村さんのような、社会人になってから大学生をやろうとするような、イノベーション的な行動に賞賛を送りたい。

www.huffingtonpost.jp

青学で法学を学ぶっていう道は今年絶たれたけど、また来年受けて法学部に入るっていう道もあるし、法学の資料を自分で見て学ぶこともできる

 ルールチェンジをするとしたら、リカレント。つまり意欲がある限り社会人になっても再度学歴を得るチャンスを拡充することにあると思う。社会人向けの大学受験予備校があってもいいかもしれない。またそれをしやすくする法制度も必要かもしれない。前向きなベーシックインカムの議論も有効だろう。

社会の中でこのような変革に対して整合性を取るのは大変なことだが、全てやらないとできない。これをできるようにするのはもっともっと大変なことだ。

もしそれを嫌がるのであれば、現実社会のルールを否定せず真正面から受け止め、ベストを尽くしていくしかない、そう思う。