orangeitems’s diary

クラウドではたらくエンジニアの日々の感想です。

「中年の心の闇」がバッチリわかってしまう

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「中年の心の闇」がイマイチわからない、に考えさせられる

「中年の心の闇」がイマイチわからない、は、とても分かりやすい文面で考えさせられました。

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

著者は精神科医なのでどうしても「中年がやらかした」ことを病理的に説明したくなると思いますが、私は健康な人でも闇に落ちると思います。もちろん原因が病気である可能性もあります。ただ「心の闇」みたいな概念で負のエネルギーを表現したときに、少なくとも自分にも存在しているなあ、気を付けないといけないなあと度々思う次第です。

 

心の闇とは何か

全てがうまくいっているか、もしくはまずいことが比較的少ない状態というのが基本です。そして日々のワークがルーチン化され、かつうまくいっていることの報酬として、時間が与えられます。土日祝とか、何もしなくてもいい自由な時間です。

何もしなくてもいいことが自由ならば、自由を手に入れたら何をするのでしょうか。意外とやることがないことに焦りを感じるときがあります。いや、読書でもゲームでも買い物でも何でもやればできないことはないのですが、全部の自由時間を何がしかで埋めることというのは難しいと感じることがあります。そこまで興味関心が長時間向くようなエンターテイメントはなかなか世の中に存在しないように思います。やりたくないことで、時間をうめることはしたくありません。これは、年齢を重ねるに従い、だいたい「新しいことをやる」ことはやりつくし初体験は終えてしまい、日々日々感受性もだんだん鈍くなっていきます。

このような、心の刺激がどんどん少なくなっていく中で、社会の中である程度役割を見つけ出し、日々を安定して過ごすことが極度に当たり前となったときに、人の心のバランスが、「ハイリスクにわざと身をまかせることで、忘れかけていた感情(それは若い時により感じることができたもの)」を求めて暴走する。これが心の闇が人の行動に影響をもたらしたときの結果だと思います。

日々の安定とは自身の仕事の手柄であり、その報酬「遊び」を休日に求めるのがよいバランスの秘訣だとは思うのですが、「遊び」の中の「仕事」、つまり家族のなかでの父親であったりという部分がある程度の割合を占めているので、どんどん遊びのない自分に追い詰められるような感じが、中年にはあるような気がします。

裏の顔、というべきか、リスクを冒した自分が得ることができるその刺激は、ハイリスクに対するリターンなので、とても快感になるのだと思います。快感が社会通念上善か悪かで言うと明確に悪なのですが、心のバランスではそれを求めていて、得られたときは「必要」と心が感じてしまうのだと思います。

・・・とここまで、かなり主観的な意見なのですが・・・続けます。

テレビを見ていても、一度心の闇に飲まれて、復帰して活躍している方もたくさんいらっしゃいます。正直、心に闇の無い人なんか誰もいないんじゃないか、一度の過ちですべてを否定してしまうのはこれは、非人間的なのではないだろうか、とはテレビなどを見ると思っています。なので、一部週刊誌などが、闇を見つけようと日々活動しているのを見ると、「まあまあ、人なんて聖人は一人もいないんだから、大目に見ようよ」と思ってしまいます。もちろん、やらかしたら罰を受けなければいけないんですが、全国民の前で謝罪とかって、それはやりすぎなのかなあ・・と。

 

余談になりますが、コミックDAYSという講談社がやっているWEB漫画サービスにて、課長島耕作を毎日読んでいるんですが、島耕作の闇っぷりは半端ないです。一話の中で必ず登場人物が闇行動をしています。で、闇行動がなぜか会社の出世につながっていくのですが、嫁とは別居→離婚となったりして、結構ハチャメチャです。イケイケです。

闇行動はがっつりやるけれども、社会では出世していき、家族など顧みない。闇行動をしない同僚より闇行動を堂々とやる島耕作が、これも闇を持つのが当然の生活をしている経営者層から気に入られ、どんどん出世していく。

この課長島耕作はサラリーマンファンタジーであり、妄想をしながら心の闇に疑似体験させることができるストーリー。だからあんなに面白くて売れたんだろうなあと思いました。

 

我々が闇に飲まれないために、闇っぽい題材の本や漫画を手にしたり見たりゲームしたり、映画を見たりするのは、闇との付き合い方のためにはいいことなのかもしれませんね。