orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「ばればれの匿名でネットをやることの意味」とパソコン通信における匿名性の考察

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ほぼ素性が明らかなのに匿名でネットにて発言することの意義、という記事です。

kawango.hatenablog.com

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この記事の議論自体には私はあまり興味はなくて、以下の話をとても共感しました。

それはぼくが理想とするネットの姿にある。ぼくが理想としているのは、インターネット以前、パソコン通信の時代だ。

私も大学生のときにパソコン通信にハマったクチで、しかもMSNという2年くらいしか続かなかったマイクロソフトのパソコン通信サービスの住人でした。Windows95を買うとMSNのパソコン通信クライアントがプリインストールされていて、そこから興味を持ち入会した次第です。

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そう。ここから私の人生は大きく変わったといっても過言ではなく事実です。あんまり人生を大きく変える出来事なんて指を数えるほどしかないのですが、そのうちの1つがこのmsnです。

f:id:orangeitems:20180408091834p:plainhttps://www.theverge.com/2015/8/24/9197529/windows-95-is-20-years-old-today

このログイン画面を見て反応できる人なんて日本でもほんの数千人かもしれないですが。ここから始まる物語というものもあるわけです。

このmsnというサービスは今から考えても結構モダンなサービスで、クライアントがエクスプローラと統合されていてかなり使い勝手が良かったのを覚えています。

f:id:orangeitems:20180408092511p:plainhttp://www.galos.net/brandy/

メジャーだったNifty Serveなどはコマンドプロンプトでした(のちになってGUIクライアントも出ましたが)。一方でエクスプローラっぽい画面をクリックしていくと掲示板やチャットまでたどり着けたりして、刺激的でした。

その中で私が入り浸っていたのが「笹塚茶屋」という掲示板サービスでした(当時マイクロソフトの本社が笹塚にあったからこの名前でした)。そこに所感を投稿して返信がついたりしてという普通の掲示板なのですが、今考えるとITリテラシーの高めな社会人がたくさんいました。かつ、パソコン通信のIDというのはインターネットサービスにおけるIDほど匿名性が高くありません。というのは一度退会してまた入会しないとIDは取り直せないのですがこの手続きがものすごく大変なのです。そもそも当時のネットサービスは、契約すると「紙の書類」が届きましたからね。約款とか説明書とか、あと退会も電話したうえで退会届を出さないといけないとか。今考えるとファンダジーですがそういう状況でした。今ははてなのIDを取っても郵便は届かないですからね。ということで、パソコン通信における「匿名」というのは今のインターネットほど高くなかったのです。ID自体に人格があり、その人格を作り上げていくという楽しみがありました。それは2ちゃんねる(今は5ちゃんねる?)にはありません。完全匿名のサービスにおいては、パソコン通信の楽しみが失われたなという思いもありあまり使わなかった思い出があります。

さて、笹塚茶屋は2年くらいで閉鎖されたのですが、そのとき大学卒業間際で、システムエンジニアになるかもという話を掲示板に投稿したら、「やめたほうがいい」「自分が大学生ならやめとく」というコメントがいっぱいついたのを思い出します。現役のシステムエンジニアの人が親身にいろいろ答えてくれた気がしますがとにかく大変だからという意見をいただきました。多分に結構すごい人も含まれていたのではないかと今になって思います。そこから20年くらい経ちますが、今のシステムエンジニアたち「やめたほうがいい」という人は多いですね(笑)。私も万人にはオススメしないかなあと思います。まあどんな仕事も、向き不向きがあり、特にシステムエンジニアの領域は向いている人にはとことん向いていて、向いていない人にはとことん向いていないというパターンが当てはまると思います。向いていないなら不幸ですね。

話は戻って、パソコン通信のIDと、WEBサービスのIDの概念が違うということですが、これはまたFACEBOOKの話とも違います。FACEBOOKのIDは「リアル」と紐付けしています。あれは匿名性を無くしていることが差別化要因です。パソコン通信のIDについては「リアル」とは紐づいていないことが前提で、そのうえでパソコン通信の活動に基づいてその人の人格が参加者に認められていきます。あくまでも「リアル」での活動はそのIDのバックグラウンドであり、匿名であるので、いろんな社会に属しているさまざまな人たちのコミュニティーが成り立ちます。「リアル」においてはいきなり職業や年齢などのパーソナリティーが前に経ちますので、例えばおっさんと学生が初対面で話すとなるとお互い身構えてしまいます。その防御が無力化されつつ、当時大学生の私とシステムエンジニアと思われる社会人が対等に会話できるという世界は、私にとって非常に刺激的なスペースでしたね。

今のインターネットスペースで言えば、「ツイッターの匿名アカウント」というのは似ているかもしれません。匿名ですがフォロワーによって人格が認められていき、しかも「リアル」とは別人格です。ただ違うのはどうしても同じプロパティーの人が集まりがちだということです。学生アカウントには学生が反応するし、主婦アカウントには主婦が反応するでしょう。また、IDなんて気軽に捨てればいいというリスクヘッジがありますので、時には攻撃的だったり批判的だったりといったことも可能です。そこはパソコン通信とは大きく違いますね。

また、オンラインゲームではどうでしょう。オンラインゲームのIDは匿名であるもののキャラクターと同一視され、知り合いができれば匿名の人格ができあがっていくので近いものがあります。違いといえば、目的がゲームであることです。私はコミュニケーションがしたいので、ゲームが邪魔になってきます。掲示板やチャットが主なのに、ゲームのコンテンツを一緒に攻略するという目的があるのが大きな違いです。成功しているオンラインゲームによっては、だんだんコンテンツが横に置かれ、集まってチャットするのがメインになっていく場合もあるようですが、これも性格としては違うものと扱った方が良いと思います。

そういう意味では、なかなかパソコン通信の理想のコミュニティーは、インターネット上では再現できないなあとkawangoさんも悩むところでしょうね。一部上場の企業で社会においてかなりの実行力がありながら、自分の作ったものがなんか違うということの葛藤を感じてらっしゃるのではないかと思います。CTOに専念されたら何か変わるのかもしれません。これは期待しております。

 

おそらく、あのパソコン通信の感じは、今の年齢で言えば40代以上でアラフィフぐらいがメインストリームだと思います。今のネット人口でいえば10代から30代がかなりの割合でつながっていて、彼らは完全匿名が前提なことが「ネイティブ」なのでわかり合うことがもしかすると相当に困難なことかもしれません。それを前提にしても、ああパソコン通信のあのコミュニティーは楽しかったなあという事実については、一個人として言及しておきたいなあと思います。