orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

なぜ子供たちは海賊版サイトに流れるか

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はてなブックマークに「小学生の頃にどんな本を読んでいたか」という記事が上がっていた。

anond.hatelabo.jp

私も思い起こすとともに、考察を入れておきたい。

 

読んでいた本

覚えている本は以下の通り。

・月刊コロコロコミック(小6でやめた)
・月刊POPCOM(パソコン雑誌)
・西村京太郎の小説
・松本清張の小説
・赤川次郎の小説
・よくおぼえていないが小説
・BASICの教科書
・新聞

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考えてみれば全部ヒマつぶし

家にパソコンがあったのでパソコン寄りになるのはわかるが、何気に文庫本を異常に読んでいたように思う。小学生で大人の読む殺人事件的な本を読んでいるのは今考えるとおかしい。

なぜこういうことが起きたかというと、実家がおじいさん、おばあさんが住んでいる家でかつ、家の中に大人が読んだ本が転がっていたからだ。今のようにスマホやインターネットはなく超がつく田舎だったので、すぐヒマになる。で、お金も無かったし、ちょっとした本屋すら車で40分かけないと行けなかったので何しろ買い与えられるスキがなかった。今はアマゾンでポチれば今日明日に届く。インプットの機会が不足するので情報に飢えていて、とりあえず家の引き出しを全部開けて本という本を探した覚えがある。そこで見つけた小説を読み進めて行ったようである。

だから、親が、「おお、この子は大人の小説を読むのか。だったら西村京太郎を松本清張を赤川次郎を与えよう」などでは絶対にない。だいたい小学生に殺人事件の本をいっぱい与えるとは何事かと思う。今になっては。

おかげで、国語の成績は非常に良かったし現代文では高校まで不自由することがなかった。日本語についてはある意味英才教育だったのかもしれないなと思う次第だが、教材の偏りに愕然とする。

 

電子書籍と核家族化と

さて今の時代である。紙の本など全然買わなくなった。私の場合はKindleで本を読むが、パーソナルな空間であり家族は私の読む本が何かは知らない。家族も同様だ。子供は子供に明示的に買い与えたられた本しか読まない。もちろん電子書籍ではなく紙の本だ。親は電子書籍、子供は紙の本。そして与えられる本は子供向けの年齢相当のもの。

そして、各世帯の核家族化は進み家の中に家族の人数が減った。よって昔のように誰かの本が引き出しの奥に寝ているようなことが減ってしまった。

本が社会に対して露出されなくなり、個人が消費するというスタイルが徹底されたことにより、子供は情報に触れるメディアが極度に制限されてしまったように思われる。

で、この状況だと、本は図書館にしかないので学校の枠でしか手に入らないということになる。小学生のうちから自由にインターネットに接続し情報を入手できるかというと全くそんなことはなく、そもそも国語力が低いので検索力が低い。YouTubeのような受動的に情報が入手できるメディアに偏ってしまうのも不思議ではないように思う。かつ活字情報と違いやたら質が低い。論理的ではなく五感に訴えかけるものが人気となるためである。そもそもスマートフォンを与えないという親も多い。

もしかすると、今の子供は、昔より大きく情報制限された世界に住んでいるのかもしれない。

 

子供に本を

ここまで考察すると思うのは、現代において、本は買い与えない限りどこにも存在しないという真実だ。昔は本が転がっていた。でも電子書籍と核家族化で干上がってしまった。しかもインターネットで制限するとすれば、子供はテレビを見るぐらいしか情報の入手ソースがないのである。そして新聞も取らなくなってしまった。

子供が本屋に行く回数を増やしたくさん立ち読みさせつつ欲しい本を手に入れさせるというのは、もしかすると親としては必ずやってあげないといけないことかもしれない。自分自身がカオスな情報をディープラーニングして知識を得ているので、今の子供たちはそれができない。とすると、本屋の存在意義を考えざるを得ない。

ただでさえ、今の電子書籍フォーマットは大人にとっても使いにくいし、子供はお金など持っていないので、子供にこの状況でスマートフォンを、インターネットを与えると、YouTubeとか漫画村とか、いわゆるお金を使わずに情報がカオスに入手できるサイトに入り浸ってしまうのだと帰結する。

子供に本を。子供に本屋を。